実家の断捨離3

読書

断捨離実行で一番の収穫は、地区クリーンセンターと地区リサイクルセンターのデビューだ。

両親の入院や自宅療養中のために購入した「ポータブルトイレ」。一度も使用できなかった。購入前は、父親のトイレ自立に必要と勧められて購入した。値段は忘れた(母が支払ったので・・)。これが大きくて見た目よりも重い。介護する私にとって移動するにも大きさと重さに苦労した。

両親が死んでから数年間も部屋の隅に置かれたまま。ゴミ処理に頼むのも面倒で、そのまま押し入れに放り込んでしまった。場所をとるのが難点だった。

今回は、長年、気になっていた「ポータブルトイレ」を思い切ってリサイクルセンターに持ち込んで処分した。センターの職員は親切で対応してくれた。

大きな建物の中にある数カ所の強大な穴?にそれを投げ込んだ。心の中で「ありがとー、使ってあげなくてごめんね。お役目お疲れ様でした。」と叫んだ。その「ポータブルトイレ」は、放り込んだとたんに巨大な穴に転がり込んだ。あれほど邪魔な大きさがみるみるうちに小さくなっていく。悲しいくらいに存在感がなくなる。あれほど、邪魔だと思ったものが一瞬で消えていく。うそでしょ!今までの存在感はなんだったの。「ポータブルトイレ」の存在が醸し出した、「介護」「入院」「施設」「リハビリテーション」「母」「父」「親子」「愛情」「悲哀」「義務感」などの既成概念がそっくり消えていく。

すごい! せいせいする!スッキリする!開放感!うわー!楽しい!!

ものを捨てるということは、こういうことか。

ものの持っている「しがらみ」というのか。「イメージ」「私は存在しているメッセージ」「つかってちょうだい」「高かったのよう!」こういうものが知らず知らず、私を縛っていたのだ。

これは自分の人生を生きることを意味する。お盆期間の両親の最大のメッセージ。きっと実家の整理をしてくれていることに感謝してくれているのだろう。

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