介護者の敵 難聴と補聴器

めっきり耳が遠くなった。難聴なんて自分のことではないと信じ込んでいた。母親はひどい難聴で94歳で亡くなったが、亡くなる数年まえまでヒソヒソ話はできなかった。母が入院したとき、病室で大声で自分の預金通帳残高を聞かれた時は、本当にこまった。周りの入院患者さんは良く聞こえて、悪気はなくても息をひそめて横になっている。耳の悪い人は声も大きいものだ。冷や汗をかきながら、紙と鉛筆で筆談した。複雑な事情でも理屈を言えば納得してくれるが、筆記された文字を大声で読み上げることも困った。どの家庭でも他人には聞かれたくない事情もあるものだから、車椅子で連れ出して、散歩中に大声で会話して、遺産処理なども話し合ったものだ。仕事の合間をみて病院の見舞いに行っても病室でありきたりな話しかできないのがつらかった。「元気?」「うん」「孫の名前〇〇は元気?」「うん、元気」「体調は?」「うーん」「仕事は忙しい」・・だから、難聴はなかなか厄介な介護者の敵だった。

それがこの頃、あら、会議中にマイクで反響する声が聞こえない。ボーゼンとした。実は早めに手を打とうと「補聴器」なるものを購入して(高額だった)なかなか使えない。母親の時も10万もする補聴器を聴力を精査して作成してもらった。ほとんど使っていない。あんな小さな機器を操作するなんて、母には無理だった。ほとんどお金を捨てたものだ。なんとかならないのか。

それにしても、人生100年時代、感覚器の衰えはどうにかならないのか。サイボーグのように部品をとりかえたい。

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