沖縄に行く機会があった。
以前から「一度ちゃんと訪ねたほうがいいよ」と年配の知人に勧められていた。広島の原爆ドームも、長崎の原爆資料館も訪れ悲惨だと感じたけれど、今回は本当に重いと感じた。
戦争は本当に起こしてはいけない。
広島や長崎は原爆を落としたアメリカを責めることができるけれども、この沖縄に関しては日本軍は沖縄を犠牲にしている。
『米軍の沖縄本島への上陸作戦が始まった昭和20年(1945)3月、15~19歳の沖縄の女子学生たちが日本軍の病院に動員されます。「ひめゆり学徒隊」は丘の斜面に掘られた粗末な横穴壕で負傷兵の看護や水汲み、伝令、食料運搬などを担い、昼も夜も命がけで働き続けました。しかし戦局はさらに悪化し、絶え間なく砲弾が飛び交うなか南部へ撤退します。さらに6月18日に解散命令が出されると、生徒たちは散り散りになり、北から迫ってくる米軍から逃れるため南の海岸を目指しました。そして、生き残って海岸までたどり着いた生徒も最後は逃げ場を失い、半数以上が悲惨な死を遂げていきました。』
―ひめゆり学徒隊資料より
戦争がなければ、夢や希望に満ち溢れた初々しい女学生たち。学校生活を楽しんでいた様子が、生き生きした笑顔が、笑い転げていた様子が当時の写真に残されている。
純粋に兵隊さんたちに尽くそうとする、助けてあげたいとかいがいしく働く女学生。洞窟の中で重症の兵隊たちの看護にあたり、最後は置き去りにされた彼女たち。
生き残った彼女たちは今なお当時のことを語りだすと「〇〇さんがここで倒れて足を怪我して動けなくなって死んでしまった。」「△△さんはおなかを撃たれてしまった。ひどいありさまだった。忘れられない。思い出しては何日もうなされた」と次々と実名が出てくる。
私が訪れた時はコロナも落ち着き、高校生の修学旅行が再開されたのか、高校生の団体が多かった。自分で望んで訪れた場所ではないかもしれない。でも、学校の方針でも学習目的でもいいからやっぱり一度は訪れるべ訪れるべきだと思う。
後日聞いたところでは、学習旅行としてひめゆりの塔や病院として使用された洞窟を訪れた際に、感受性の鋭い年頃の高校生の中にはつきものが付いたように具合が悪くなる生徒もいるそうだ。教師は霊感?が強い生徒は無理にそばに行かなくともよいとアドバイスすることもあるとのこと。それくらい衝撃が強いし、女学生たちの無念さが伝わるようだった。
今ウクライナもガザも平和ではない。私たちはいつまでこんなことを続けるのだろう・・・
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